●岳温泉
私が一週間にわたり宿泊していたのが福島県二本松市の岳温泉にある「岳の湯」。 東北自動車道二本松ICから10kmほど山へ上がり温泉街の入口交差点に立つ公衆浴場だ。
岳温泉の看板
ここは300円の日帰り入浴の他に湯治を目的に一人3,350円で宿泊することができ、わたしのようにちょい自炊しながら素泊まりでの長期滞在にもいい。6畳の部屋以外に広い部屋もあり、テレビもあるので家族連れや初めての方でも安心して使える自炊宿だ。
岳の湯の流し台
岳の湯のコイン式ガスコンロ
共同の調理場は中央に調理台、左側にはコイン式のガスコンロが並び、右側には流しがある。炊飯ジャー、鍋、フライパン、ボウルなどは大小あり、電子レンジ もあるので設備的には申し分ない。ちなみにこのコイン式のガスコンロは3分間10円。10円を入れて元栓を開きガチャンすると火がでる仕組み。初めて見た。
この名湯、岳温泉には十数件の旅館が建ち並ぶ。近年は不況の影響で客足が遠のき深刻な事情を抱えていたようだが、そこへ大震災が襲った。震災後は数件営業を断念した旅館もある。ここの温泉の湯元は安達太良山連峰の鉄山直下、標高1,500mにあり8km引き湯される間に 適度に揉まれ、 肌にやさしい柔らかなお湯となっている。泉質は無味澄透で無臭、PHは2.48の酸性泉。熱めの酸っぱいお湯はわずかに白濁していてしっかりした浴感がある。公衆浴場だが夜から朝までは宿泊者専用の風呂となり、贅沢に独り占めすることができた。
●名物ソースカツ丼
岳温泉の夜は早い。食事ができる店は夜8時には閉まってしまう。ワークショップが終わり宿に戻ると5時を過ぎるので、なるべく早めに夕食をとっていた。岳の湯の向いに「成駒」という食堂がある。昭和30年から変わらぬ味、ソースカツ丼が名物だ。頼んでみると驚くほどのボリュームで丼の蓋が浮いて横からカツとキャベツが飛び出している。
時間は夜の7時半、ヤバイ。二本松の地酒、奥の松を飲んでる場合じゃない。急いで口の中に掻き込む。時間内セーフ。8時に別の客が来た。いらっしゃいどうぞ。え??客が入れば営業することがわかった。
●好きな文字は「安い」を書いた男の子
3日目の郭内公園仮設住宅でのワークショップ終了後、ワークに参加していて「安い」を書いた小学生の男の子が友達と自転車を乗り回していた。帰り支度をしていた私に近づいて言った。「習字の先生って恐いの?」全然恐くないよ。「ふーん。」途端に私の着ていた作務衣のズボンを脱がそうとした。コラ!怒った。友達二人で笑っている。イジラレた。
筆を持って仮設内を走り回る少年
一緒にいた友達が「ボクも筆欲しいな」とつぶやいた。いっぱい文字書いてねと言って差し上げた。参加した子が「いいな」とつぶやいた。どうやら、さっきの筆をおじいさんにあげたらしい。新しい筆をおじいさん思いの子にまたあげることにした。
筆を持ちながらまた自転車で走り始めた。ひとりの子が言った。ここにジャンプ台があるといいのに。確かにここはコンクリートが敷き詰められた場所。仮設の周りをグルグル回っているだけでは遊び足りない。浪江町にいた時には、きっと自然のジャンプ台で思う存分遊んでいたに違いない。ジャンプ台をあげれなくてごめんね。
●シンデレラ
5月3日の夜、福島市内で皆さんと会食後にひとりで福島市内のホテルに戻る途中、シンデレラという名前のスナックがあった。ウケた。入った。そしたらシンデレラがいた。タバコをくわえている70近いシンデレラがひとり。いらっしゃい。こんばんは。もう引き返せない。ヨコのホテルのお客さん?はい。福島には何で来たの?ちょっとボランティアで。除染しに来たの?まただ。店内には70代の王子が2人。早速ひとりの王子にからまれた。舞踏会はこんなストーリーだったっけ?ほどなく城を出たらすぐに魔法が解けた。
●岳の湯がピンチ
5月4日は昨夜宿泊した福島市内のホテルから、午前中のうちに岳の湯に戻って来た。早速、なぜか誰もいないお風呂に入るとお湯がぬるい。ぬる過ぎる。まるで真夏のプールに入っているようだ。岳の湯さんに聞くと、前日の大雨で湯元周辺が崩れ引き湯されるパイプが一部破損したらしい。この日は「本日休業」の札を出していた。年中無休で地元の人たちに愛され、この連休で観光客も楽しみに立ち寄るだけにとても残念だ。
●食事処みうらや
数少ない店で一番多く利用したのが食事処みうらやさん。おいしいご飯が腹いっぱい食べられてコーヒーもご自由にどうぞの店。夜はもっぱら晩酌とともに食事をいただく。私は毎日夕食をしながら、その日の記録を日記に綴っていた。
この日も食べながら書いていると小学生の女の子が今日も店のお手伝いをしている。テーブルを拭いたり大人顔負けの手際の良さだ。お客が少なくなった頃、その子に声をかけてみた。えらいね。好きな言葉は何かある?「はい。ありがとう、おはよう、両親とかです。」完璧だ。
じゃあ、おじさんが「ありがとう」の文字を書いてプレゼントするねと伝えた。東京ならこのおじさんキモイ、と思われるだろうが、嬉しそうに返事をしてくれた。明日は子供の日、この子が明日もここにいるのか分からなかったので、連日お世話になったお礼に一筆書いて差し上げようと思った。
さっそく車から道具を持って来て書きはじめると、奥の厨房から親らしき大人が集まり始めた。「よかったね。いいね。」と親も喜んでくれた。すると奥にいたお客の母子3人が近寄って来た。ここの親の親戚だった。長女は「蜜柑ちゃん」次女は「れもんちゃん」だという。名前を書いて差し上げた。
親たちと目があった。私たちには…という微妙な雰囲気を感じたので、よかったら書きましょうか…ということで書いて差し上げた。翌日、私のイベントのチラシとありがとうの文字が店内に飾られていた。
●菊乃家
食事処みうらやさんで文字を通して交流した後、一軒のスナックに入る事にした。 ここは温泉街なのにスナックのような店はほとんどなく、しかも連休中だというのに浴衣を着たお客は出歩かない。そこで唯一宿の近くにある「菊乃家」さんというスナックに入ってみた。
こんばんは。「あら、いらっしゃい。JICAの人」今度はそうきたか。二本松には青年海外協力隊の訓練所があり、この温泉街にも飲みに来る人たちがいるようだ。いいえ、横浜からちょっとボランティアで来ました。「そうですか、お疲れさまでございます」と、70才のママさんは元気がいい。あそことは違う。スナックを選ぶならカタカナより漢字の方がいい。
店には皆さん70代らしき女性が三人と男性が一人。話を聞くと、たまに来る常連の方々らしい。こんばんは。と声をかけると女性たちは「ご苦労さまでございます」とにこやかに挨拶してきた。確かに私もボランティアだが、なんか複雑だ。
焼酎のロックを注文すると、グラスになみなみ注いでくれた。「ボランティアさんには、サービスすっから。」とママさんが明るい。私は除染に来たわけではなく、どこか申し訳ない気持ちになったので、ママさんに私が福島に来た事情を話した。
しばらく飲んでいると突然色紙と筆ペンを差し出し、「センセ~これで文字書いてくれね~だろうか。ダメかい?」とママさんが言ってきた。いきなりセンセ~ときたか。書くのはいいけれど、その筆ペンがダメなんだ。と心で思いながら、「わかりました。じゃあ書きますのでちょっと待っていてください」と言ってまた車に戻り、書道用具を取りに行った。色紙と筆は車に山ほど積んである。
ママさんの名前が和子なので、「和」という文字をリクエストされた。書き終わるとヨコにいた常連客が集まって来た。「オラも書いてもらいて~」大騒ぎになってしまった。こうなりゃみんなに書くしかない。それぞれの思いを書いた。「生きているといいことあるばい。冥土の土産だ」と言ってみんなとても喜んでくれた。
今度は「何か歌ってくれね~か」と言ってきた。喜んでくれるなら何でもやるか。歌った。すると歌っている途中にリクエストしたおばさんが近寄って来て、折り畳んだ1,000円札2枚を割り箸にはさんで持って来た。歌い終わったらなんか泣けてきた。夜も復興応援。
●いい湯、岳の湯
5月5日はワークショップの最終日、今日の会場へ出発する前、これまで岳の湯さんにはお世話になったお礼に「いい湯、岳の湯」と色紙に書いて差し上げた。お二人はとても喜んでくれたようだ。夕方ワークショップから戻ると、番台ヨコにある中央の太い柱に額に入ったその色紙が飾ってあった。私がそれに気づいて驚いていると、お二人はこちらを見て微笑んでいた。歴史あるこの場所に飾られるのは光栄である。
岳の湯さんに飾られた色紙